テラスハウス:Boys & Girls in the City
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★注意:内容の核心に触れています。これから観る方はご注意ください。
このサイトを読むような硬派な海外ドラマファンの方は、『テラスハウス』をどう思っているのだろう? おそらく「ああ、あのお洒落な美男美女がキャッキャッ言ってイチャつく様を延々見せられる、なにがおもしろいのか分からん下世話な番組でしょ?」ってところか。えー、内容の説明としては概ねそれで合ってます。
だがしかし。「硬派な海ドラ」も好んで観る自分なのに、最近では『テラスハウス(以下『テラハ』)』が配信される月曜日を心待ちにし、『ナルコス』の続きを観るよりも『テラハ』を優先させる始末である。いったい何が俺(アラフィフ)をそうさせるのか? この言いようのない『テラハ』の魔力の正体を少し探ってみたい。
昨年、本家『テラハ』の堂々たるパクリ番組『THE HOUSE』がTOKYO MXで放送された。この偽テラハこと『THE HOUSE』、やってることは本家と同じようなものなのだが、住んでる家は運動部の合宿所みたいだし、出てくる男女も品がないし、ひとことで言えば「汚いテラハ」だった。なにより本家と亜流を見比べてよく分かったことは、両者間にある映像作品としてのクオリティの圧倒的な差だ。
言っても所詮バラエティ番組の域を出ない『THE HOUSE』に比べ、『テラハ』は考え抜かれた撮影の構図、ときに凝ったライティング、的確かつ絶妙な編集と、すべてが「ちゃんとしている」。思い返してみると一応ドキュメンタリーであるにも関わらず、『テラハ』には手持ちカメラの不安定な絵がほとんどない。固定カメラのフィックスが主で、パンさえもあまり好まず、人物の会話は多くの場合、複数カメラで撮られたカットの切り返し(カットバック)で伝えられる。
今回の『in the City』で、知り合ったばかりの勇気(ダンサー)と美咲(タレント)が初デートをする場面がある。三軒茶屋で待ち合わせる2人。「今日はなに食べるんだろ?」と聞く美咲に、勇気は「焼き鳥にした」と答える。店の外観、テロップで店名。続くカットではテーブルを挟んだ美咲と勇気が乾杯する。手探りの会話と2人の表情……。手法はいつものカットバック。冷静に考えればわかることだが、このシーンを事前の準備なく撮影することは相当に難しい。店のセレクト、撮影許可取り、ベストなアングルで美しく2人を撮るための機材の設置。やることはたくさんある。
あえて言い切ってしまおう。『テラハ』はリアリティショーというより「リアルテイスト・恋愛ドラマ」だ。番組の冒頭、毎回しつこいくらいにナビゲーターのYOUが「台本は一切ございません」と宣言する。意地悪な見方をすれば「台本はないけど演出はあるかもよ?」と暗に言っている、ともとれなくもない。
こんな事件があった。達也(美容師)が客からもらって共用冷蔵庫に入れておいた高級肉を、ほかのメンバーが断りなく食べてしまったのだ。帰宅し肉がないことに気づき激怒する達也。困惑する食べちゃったメンバー。「紙に食うなとか書いとけよ」とごもっともなことを言う光る(モデル・大工)。世に言う「テラハ・お肉事件」である。
実にしょうもない事件だが、ふと考えた。これって何だろう?と。勝負の世界には「片八百長」(片方がわざと負けるが相手はそれを知らない)という言葉がある。演出家はメンバーたちに「達也のあの肉、食っちゃえよ」と焚き付けたのか? それとも肉が食われたところを見て、逆に達也に「お前、みんなにぶち切れてみなよ!」と指示を出したのか? あるいはその両方か? 真相はわからない。
もちろん実際に起こった出来事が偶然、記録されたのかもしれないが、日常の撮影で演出家の指示を受けたり受けなかったりするであろう演者たちに、なんとなく互いへの疑心暗鬼が生じているようなムードが、この緊迫感あるシーンからは感じられた。考えすぎかもですけど。
そして今回のシーズンの終盤。自分が『テラハ』に感じていた虚と実が入り乱れるような魅力を、根本から破壊してしまう強烈なことが起こった。
速人(シェフ見習い)と理子(日本一かわいい女子高生)は急接近中。だがあと一歩距離が近づかない。速人は「妹としてしか見られない」と言い、理子は一緒に花火大会に行っても「まだ手はつなぎたくない」と言う。絵に描いたような純情カップル。ところがある日、メンバーが集まったテーブルで、悪魔の使者・勇気がとんでもないことを言い出す。
「俺、速人と理子がエレベーターの前でチューしてるの見てるわけよ」。凍りつく速人と理子。アルマン(消防士志望)も追い打ちをかける。「あと、夜中に起きると男子部屋に理子がいたみたいな…」。凍りつく速人と理子。「やるならラブホテルなんかでやるとか…」(えげつないことを言うアルマン)。
暴露が炸裂した一瞬にカメラが捉えた、理子(日本一かわいい女子高生)の表情の変化には背筋が凍った。「余計なことを言うんじゃないよ…」by理子の心の声。夢見る女子高生から裏も表もある女の顔へ。美しく完成された虚構の塔が音をたてて崩れ落ち、身もふたもないリアルが瓦礫のなかから現れた瞬間である。
「お肉事件」同様、真実はわからない。やらせというわけではなく暴露も含めた一連の流れがナチュラルに誘導されたものという可能性もあるし、あるいは冷酷な「片八百長」が実行されたのかもしれない。すべて本当のことかもしれない。そのどのケースだったとしても、虚構の主人公である演者たち自らが「カメラの前でやってるのは演技です。そりゃそうでしょう」と突如、告白したも同然だ。そして番組の根幹を揺るがすこのシーンを「見せ場」として平気で差し出す作り手の度胸。なんて面白くて刺激的な映像体験なんだろう。
「すべてのフィクション映画は、演技する俳優を捉えたドキュメンタリーだ」と言った監督がいたが、映像作品においてホントとウソの境目はとてつもなく曖昧だ。『テラハ』の作者たちがそのことに自覚的かどうかは知らないけど、バラエティー的手法の延長線上にある『テラハ』において、俗に言う映画的瞬間(みたいなもの)が偶然か必然か生まれてしまったことが興味深い。
プロレス界の裏側を描いたドキュメンタリー映画『ビヨンド・ザ・マット』のように、『テラスハウス』がどのように作られているのかに迫るドキュメンタリーがもしあったら、とてつもなく興奮できる気がする。森達也監督、撮らないかな~(笑)。
内容・あらすじ
見ず知らずの男女6人による共同生活を映す人気リアリティショー。