レッド・オークス シーズン1
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「ジャンル物」という言葉が与える「凝り固まったその道のマニア向け」というイメージってつくづく損ですよね。こと、広く紹介したいジャンル物の良作をめっけたりした時のもどかしさったら。履歴書の写真審査のように、ジャンルを伝えただけで敬遠されることだってある。あーハイハイ、あなたは好き者なのねって。
じゃあジャンル物は本当に好き者たちの辺境なのか。いやいやちょい待ち。そこを突き詰めていくと、実に豊かな普遍性が立ち上がってくるのです。辺境をひた走っていたらいつの間にか地球を一周してました的な、まあるい地平が見えて来たりする。
例えば、かつてはホラーという親ジャンルの中の子ジャンルでしかなかった《ゾンビ物》が、アクション/コメディ/青春/ロマンス/ドキュメンタリー、果ては高慢なコスチューム劇に至るまで、数々の親ジャンルを配下に取り込みながら雪だるま式に肥大化していく今、辺境の1ジャンルが世界を呑み込んでしまうことだってあるのだから。
ここらで「ジャンル物」の持つポテンシャルを、見直してみたい。
そこで《学園青春物》。
もう子供でもなければ、まだ大人でもない、将来が決まるまぎわの分岐点におけるジタバタ。誰もが通るそんな思春期の足掻きが、世代をまたぎ、性別を問わず、文化も古今も東西も、あらゆる壁を越えて、相変わらず人生をうまく進められないナーバスなあなたのセンチメンタリズムをコチョコチョする。それが《学園青春物》というジャンルがもつ普遍性です。
学園内に飛び交う類型的な「決まりゴト」を煮詰めて煮詰めて煮詰めまくったら、いつしか普遍に通底し、うっすらと「世界」が見えてきたよ、という醍醐味。人を変え場所を変え、数々のバリエーションを重ね、典型をひたすらグツグツと煮詰めることで「学園」を「世界」たらしめてきた。それが《学園青春物》の歴史じゃないでしょうか。「学園は世界の縮図」というけれど、もしかしたら、むしろ世界なんて学園の拡大図でしかないのかもしれませんぜ。
さて、カントリークラブでのひと夏のバイト生活を描いたこの『レッド・オークス』。見始めてすぐに気づきましたよ。これはカントリークラブを学校に見立てた《学園青春物》だ!と。
将来に不安を抱えつつアルコールとハッパで刹那的なパーティに明け暮れるモラトリアムな一夜はリチャード・リンクレイターの『バッド・チューニング』が醸した世界だし、世間から隔離された場所に一定の期限で集められた者たちがその場を支配する者を満足させないことには将来を切り開くことができないというシチュエーションには、学園映画の師ジョン・ヒューズが遺した『ブレックファスト・クラブ』の“週末の図書館”を思い出す。
そもそも、それなりに恵まれたルックスで可愛いカノジョもいるというのに、解消されない将来への不安からバイトを点々とする天然パーマの主人公といえば、エイミー・ヘッカリングの『初体験/リッジモント・ハイ』の主役、ブラッド・ハミルトンそのものじゃないすか!
はい、少し強引ですが、これで2008年にエンタテイメント・ウィークリー誌が総括した【学園青春ムービーベスト25】のトップ3が揃いました。学園青春映画の魂、ここにあり。
さらに、プールサイドの水着には相変わらず煩悩がクラクラするし/ノックを忘れたドアが開けば妄想中のマスかき野郎が!(以上、前出のリッジモント・ハイ)。さらにさらに、車を持てないナードはゴルフカート(芝刈り機)で「カースト超えの恋」に挑むし/その娘の車は白いワーゲンゴルフのカブリオレだし/所詮、金にモノ言わせたところでその娘をゲットできるわけもなく、大切なのは本来の自分に“Be yourself!”なわけだし!(以上すべてパトリック・デンプシー主演『キャント・バイ・ミー・ラブ』)
とまぁ学園青春映画の要素がいよいよてんこ盛り。世界中の“リッジ門徒”や“パトリック教徒”も大騒ぎです。
ぜひ、過去の偉大な学園青春映画が培ってきた数々の「学園青春エレメンツ」が30分間で小気味よく築き上げられていく第1話だけでも見ていただきたい。きっとそこから繰り広げられるであろう若気の至りの数々を鼻血を流しながら夢想することでしょう。
しかしこのシリーズのキモはそこにとどまらず。闇雲にコトにぶち当たっていただけのティーン期を経て、少しオトナびた20歳の若者たちのペーソス混じりのジタバタは、ティーンの若気とオトナの諦観の端境期という、実は人生でいっちばん大事な時期の振る舞いを明け透けなまでに見せつけてくれるのです。
驚くのは、1985年の舞台設定にして、この鮮度。スマホやSNSが出てこないからと、このドラマに色あせた“時代”を感じる人がいるでしょうか。ジミー・コナーズや『BTTF』の話題が出たりシーナ・イーストンのヒット曲がかからなければ、設定された時代などまるで意識することなく、人は「あの頃の自分」を見つめ直し、または「今の自分」に重ね、もしくは「これからの自分」を思い描く。
あの頃だって今だって、思春期を支えているのはスマホやSNSじゃないんだわ。それを感じた時点で、わたしたちは人生の大事な何かを掴みはじめているんですよ。だって青臭い学生だろうが定年間際の倦怠期だろうが、人生なんていつだって「その先に待ち受ける何か」の手前でジタバタしている思春期の連続なんですから。たぶんね。
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