最期の祈り
NETFLIX
数か月前に観たまま、レビューが書けずにいた本作。
「逃げていた」というのが近いかもしれない。
このドキュメンタリーに映される人々は「逃げられない」。
その逃げられない状態から、逃げていた。
呼吸チューブに繋がれて判断力が鈍っている人、
衰弱したホームレス、
拘束具に苦しみ、外してほしいと懇願する人と、それを受け入れられない家族。
そして、その現場で「決断を迫らなければならない」医師たち。
本作のテーマは、これまでもさまざまな媒体で何度となくテーマにされてきた。
その都度、答えは出せず、かつ「まだ先のこと」とどこかで棚上げしてきた。
私自身、何度か「誰かの死」を経験したことはあるが、決断を迫られたことはまだない。
そんななか先日、外科医から「これは、手術ですね」と診断される立場となった。
生き死ににかかわる手術ではないが、なにせ健康自慢をしてきた自分にとって手術自体が初体験。
スルスルと説明を進める医師を前に、みっともなくうろたえた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って先生。気持ちが判断の速度に追いつけません!」と。
簡単な手術でさえ、この始末だ。
ましてや、「延命か、自然死か」などの決断が簡単にできるはずもない。
この瞬間、今まで棚上げしてきた課題が自分のものとなった。
この作品がアカデミー短編ドキュメンタリー賞にノミネートにされたことを機に再見してみると、彼らの葛藤が迫ってくる。
「この決断は正しいのか」
「私が判断していいのか」
「本当に、ここに横たわる人の意思を理解できているのか」
絶対に100パーセントの正解などない問いと向き合う家族と医師の姿を、カメラが追う。
その目線は決して感情的ではなく、ただ寄り添うように。
この年齢まで「ベッドの横に立つ」立場しか考えてこられなかったけれど、そろそろ横たわる立場も想定するようになる。
「私が判断できない状態になったら、延命しないでね」と家族には言っている。
けれど、そう思っていても、いざ拘束された状態で「どうする?」と聞かれて、「もういい。このまま死なせて」と本当に言えるんだろうか。
目の前で心配してくれている愛する人たちとさよならすると言えるんだろうか。
自信がない。
作品中で、1人の女性患者は呼吸器を外し家族と手を取り合う。
そして、静かに発する言葉に胸が詰まった。
「みんな、落ち着いて」。
言えるだろうか……。
答えは、まだ出ないでいる。
だけど、「その時」はやってくるかもしれないのだ。
※Netflixで独占配信中
【予告編】
【視聴リンク】
https://www.netflix.com/title/80106307
内容・あらすじ
治療による病状の回復が見込めず末期と診断された患者たち。彼らはどのような人生の最期を迎えるのか? 延命治療を取りやめるか否かという決断は、集中治療室に横たわる本人だけでなく医師や家族にとっても難しい問題。本作は、そんな倫理的・精神的に困難な終末期医療を決定するプロセスに真正面から向き合った短編ドキュメンタリー。 アカデミー賞ノミネート歴のあるダン・クラウス監督(『The Death of Kevin Carter: Casualty of the Bang Bang Club(原題)』)が病院の集中治療室に潜入し、患者のために、愛する家族のために、自らの最期のために、苦渋の決断を迫られる人々の姿を追った。登場する医師の一人、ジェシカ・ジッターは、ベストセラーとなった著書『Extreme Measures(原題)』でも患者の希望を最優先する終末期医療の重要性を訴えていた医師。意思の疎通が難しくなって来ている患者とも真摯に向き合い、家族と共に「本人にとって何が最善の選択なのか」を試行錯誤する姿が描かれている。2016年トライベッカ映画祭最優秀ドキュメンタリー・ショート賞、サンフランシスコ国際映画祭最優秀ベイエリア・ショート賞を受賞。