チャック・ノリス vs. 共産主義
NETFLIX
冷戦期、東陣営だったルーマニア。検閲でほとんど西側の映像は入ってこない、入ってきても浄化された映像の断片、それ以外はほぼ自国の退屈なプロパガンダ放送だけ。そんな映像世界にうんざりしていた人たちが、正規流通することのない海賊版VHSテープで見たチャック・ノリスやヴァン・ダムのアクションに、あるいはランボーやニンジャ映画にどんなに夢中だったかを語るドキュメンタリー。誰もが危険を感じながらも、何故あそこまで地下VHS文化が広がっていったのか? やがて政府を揺るがすことに影響したかも知れないといわれるほどに……。
2つのパートで構成されている。ひとつはあの頃のこどもたちの「現在」のインタビュー。彼らが身振り手振りを交えて自分たちの観た映画を熱く語る、もうその姿だけでなんと映画的なことか!
海賊版VHSのチョイスが、まとめ買いらしく超大作からZ級映画、文芸作品から二束三文のアクションまで全く一貫性がなく無茶苦茶だったこと。ダビングが繰り返されてノイズだらけになったVHSは途中で何度も画面に何も映らない状態になるので僕らの想像力を豊かにしてくれたのかもね、という笑い。ビデオデッキを持っている数少ない家でオールナイト上映してまとめて観るからみんな朝には話が混乱してて「あれ? どれがどれだっけ?」状態というエピソード、顔も名前も知らないけれど誰もが知っている吹き替えの女性の声に「きっと素敵な人なんだろう」と皆が心をときめかせていた様子も愛らしい。
陰鬱な時代を描いていながら、インタビューで当時の「観客」によって語られる言葉は常に光を失わない。映画への憧れに溢れ、物語によって世界が広がる瞬間の喜びに溢れている。なかには映画に関わる仕事に就いた者もいる(2016年に東京国際映画祭で上映された『フィクサー』のアドリアン・シタル監督もその一人として顔を見せる。クレジットで確認したところアクティング・コーチとしても今作にかかわっている模様)。
そしてもうひとつが、インタビューの合間に差し込まれた再現映像=劇映画パート。特筆すべきはこの再現映像の演出の巧みさだろう。ドキュメンタリーにおける再現映像は単なるエピソード採録というよりは「記録されていない世界がどのように見えていたかを手触りで伝える」役割が重要になるわけだが、それが今作ではまさに「まるで私たちが知っている、冷戦下の東側の国を舞台にした映画のような」ざらついたトーンで描かれているのだ。
寒々しい青灰色の街並み、重苦しい空、四角い箱のようなそっけない石造りの建物。小さなマンションに集まってこっそり手に入れたテレビとビデオデッキ、夢中で映画に見入る人たちがショッキングなシーンで手を握るさま。なかでも「謎の海賊版洋画劇場」を製作していた人たちの優れたエスピオナージ性には目を見張ることだろう。
西側の映画のようなエピソードの数々。違法物資を使って警備を買収して国境で受け渡されるVHS、秘密警察とのエレベーターでの遭遇。闇稼業で稼ぎまくる謎の製作者ザムフィール氏が邸宅の地下室にひとり佇む後姿、そこからじわじわとカメラが引いていくと大量に並ぶビデオデッキの「帝国」が映し出される、そのゾクゾクするような興奮! 製作関係者の誰もが互いを秘密警察の回し者ではないかと思う瞬間が何度もあった、と回想するあの時代。
この「事実」の凄みを前に、今ではこうしてドキュメンタリー形式の一部として娯楽的な「映画」に再現することができている、という事実にまた胸が熱くなる。「検閲を通さない西側の映画」が禁じられた場所では、「検閲を通さない西側の映画」みたいなことが起きていた……! というこのドキュメンタリーの「物語」も愛しくて仕方ないし、何よりこれが「映画」として作られたことに胸を打たれてしまう。
そう、これは映画についての映画、物語についての物語だ。
この製作スタッフの最重要人物、本業は通訳の「吹替おねえさん」=みんなが名前は知らないけどその声を知っていたというイリーナさんが、ただ本人が「私自身が映画観たいし」というほぼそれだけの理由で大した金銭的見返りもなく「1晩に6本の吹替」みたいなタフすぎることをやり続けていたというのだから驚かずにはいられない。(余談だがこれを観ると吹替の質の問題を飛び越える何かは映画が映画である限り存在しうるのだと思う。1人の女性が全部の役を同時通訳形式でコーヒー飲みながら作業をしていたなんて! しかも皆がそれに慣れてしまい、別の人の声では違和感を持ったというのだから!)
秘密の上映会が終わるとこどもたちが次々に映画の真似っこを始めるシーンには否応なく胸が熱くなる。チャック・ノリス映画をはじめ、たくさんのアクションヒーロー映画が真剣に愛されていた理由が「奴は諦めないんだ!」という言葉に集約されるということにどうしようもなく泣けてしまう。あの場所に息づいた、戦う者への思い、自由を願う心の切実さに。
「映画が終わると……ただの道や石が違うものになったんだ」
映画で知った自由と希望はやがて、時代の変化を生み出していく。もちろんここで出てくる以上にこの映画では描けないレベルの「ヤバいこと」は一度や二度でなくあっただろうし、今作のVHSの流通→結局は市場に抗えない+自由を希う感情→共産主義と独裁政権の敗北につながっていく、という仮説がどこまで<本当の答え>なのかはわからない。しかしみんな「面白い映画が観たい!」には抗えなかったという話、それだけはきっと嘘がない。
「人は物語を欲しがるものよね」
時代を変えたVHSという複製メディアの話がNetflixという配信サービスで見られるのが「今」だ。時代は動き続ける。けれど「物語」への愛着、「映画」が与えてくれる希望は時代が変わっても、フォーマットが変わっても、きっと存在し続ける。その場限りで忘れられていくだろうと予測された映画が、全く思わぬかたちで世界を動かしうるかも知れないなんて、なんとも胸がときめく話ではないだろうか。
※Netflixで配信中
【予告編】
【視聴リンク】
https://www.netflix.com/title/80039422
内容・あらすじ
チャウシェスク独裁政権下、西側メディアが禁じられたルーマニア。自由世界を見せてくれたのは、密かに吹き替え付きで出回っていた外国映画のVHSテープだった。 (Netflix紹介文より)