アメリカで最も嫌われた女性
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自分の無知を世間のスタンダートだと言い張るつもりはないが、日本でマデリン・マーレイ・オヘアの知名度は限りなく低いのではないか。筆者はこの人物を『アメリカで最も嫌われた女性』で初めて知ったし、日本語のWikipediaがあるわけでもない。どんな人物か調べようとしても、英語のサイトを掘らない限りせいぜい「著名な無神論者」というくらいしかわからない。
マデリン・マーレイ・オヘアは1919年生まれ。22歳頃に結婚したが、第二次世界大戦では婦人陸軍部隊の一員として従軍したヨーロッパで将校と恋に落ちて離婚。長男のウィリアムを生む。終戦後、別の男性との間に次男ガースをもうけ、無神論の国であることを理由にソビエト連邦に移住しようとするがソ連側から拒絶され、2人の子を抱えたシングルマザーとしてボルチモアの実家に転がり込む。と、ざっとこれくらいが本作で描かれる以前のマデリンの略歴だ。
物語は1995年、76歳のマデリンが次男ガースと孫娘のロビンともども誘拐されるところから始まる。マデリンが運営するNPOの裏金を要求する犯人グループにより監禁生活を強いられることになる。一方、異変に気づいたマデリンの部下が警察に通報するのだが、警察も長男のウィリアムもマスコミも、誰一人事件を真に受けず、取り合ってもくれない。なぜか? マデリンは「アメリカで最も嫌われた女性」として知られた、お騒がせババアだったから……。
犯人グループはいたって真剣、マデリンたちもいつ命を奪われるかも知れない緊迫した状況。なのに世間は誰も心配しない。この歪んだ珍事態の顛末を追いつつ、マデリンがいかにして「アメリカで最も嫌われた女性」になったのかを振り返る構成だ。
マデリンの最も知られた功績は、1963年にアメリカの公立学校で生徒たちが聖書を朗読させられるのは憲法違反だと訴えて、最高裁で勝訴したこと。“政教分離”という無神論に近い日本でさえなんだかもんやりしている問題に果敢に斬り込み、アメリカの大半を占めるキリスト教信者の憤怒と憎悪を一身に浴びながら、女性論客としてメディアにも出まくった。
何度も殺害予告を受けながら社会問題に取り組むNPOを立ち上げ、「アポロ8号の乗組員が月からの中継で聖書の「創世記」の一節を読んだのはけしからん」とNASA相手に訴訟を起こしたりもした。理屈は通っていても、やり口が容赦なくてえげつない。この己が道を行く女傑に扮しているのが現在56歳のメリッサ・レオ。『フローズン・リバー』でアカデミー主演女優賞ノミネート、『ザ・ファイター』で同助演女優賞に輝いた名女優が、マデリンの40代から最晩年までを演じている。
メリッサ・レオにとってもマデリンは念願の役で、長年実現に尽力していたという。本作を観ればその意気込みがどれほどのものかよくわかる。このおよそ好感の持てない、矛盾だらけだがカリスマ性を備えた女傑になり切っている。自分はこの女優どっかで観たことあるなと思いながら、エンドクレジットまでメリッサ・レオと気づかなかった。それくらい、本作のマデリンは唯一無二の存在感を放っているのだ。
作品全体としては、どこに着地しようとしてるのかがよくわからない。普通ならば、1995年の誘拐事件から過去へと遡る以上、マデリンの過去が事件へと結びついていくミステリーになるだろう。その意味では、本作はミステリーとしては弱い。マデリンと犯人との因縁が紐解かれていく構成に一応はなってはいるのだが、犯人の正体は早々に明かされ、アメリカ中を震撼させたマデリンの前半生と、悲劇的かつ喜劇的な誘拐騒動の間には実は大して関連がない。
これは実話だからしょうがない、という類の話ではない。この構成にした以上、そこには作り手の意図があるはずなのだ。マデリンは毀誉褒貶の激しい奇人で、素晴らしい功績もろくでもない悪行も残したが、彼女の「最後の事件」と呼ぶべき誘拐事件があまりにもバカバカしい展開を迎えるために、われわれ観客はただ宙ぶらりんのまま放置されてしまうのである。まるで「世の中にはくだらないことってあるんですよ」とでも言われているような。ラストで紹介される長男ウィリアムのその後も性質の悪いブラックジョークと言うしかない。
マデリンというヘンな人がいた。面倒くさくて他人をイラつかせる天才で、嫌われ者だけど少なからず世の中を変えた。その人生が、偉人伝なのかブラックコメディなのか、はたまた得体の知れない別のナニカなのか、どうかみなさん一辺ご覧になってくださいよと苦虫を嚙み潰したような顔で言うのが、今の筆者ができる唯一のことである。
※Netflixにて独占配信中
【予告編】
【視聴リンク】
https://www.netflix.com/title/80082242