
意表をつくアホらしい作戦
NETFLIX
ダグラス・ケニーのことに詳しい人が日本にどれくらいいるのだろうか? 恥ずかしながら彼が創刊した雑誌「ナショナル・ランプーン」や、『アニマル・ハウス』(1978)を筆頭に彼が関わったコメディ映画のいくつかは知ってはいても、ダグ・ケニー本人のことはほとんど知らなかった。とにかく70年代~80年代のアメリカンコメディの立役者であった、らしい、というくらいの前知識だけで鑑賞したのだ。
驚いたのは、そもそも彼の略歴を知っているのといないのとでは、まったく違う感想を抱かせるトリッキーな作品になっていること。いまこうして紹介を書こうとしているが、肝心要のところがネタバレに抵触してしまうので(実在の人物だけにwikiでも覗けばすぐにわかるけれども)、ネタバレに敏感な人はこのページを閉じて、実際に作品を観てもらった方がいいと思います!
※警告:いきなりネタバレします。
この作品は、年老いたダグ・ケニーが取材を受けて、自らの少年時代を回想するところから始まる。同じフレームに少年時代を演じる子役と老いたダグ・ケニーが収まるのを見て、最初に連想したのはアレハンドロ・ホドロフスキーの自伝的作品『リアリティのダンス』(2013)と『エンドレス・ポエトリー』(2016)だった。共に80代の老ホドロフスキー(本人)が画面内に登場し、時に自分の分身である主人公に語りかける。「ああそのパターンね」と独りごちた時点で、筆者は完全に騙されていた。ダグ・ケニーという人は、33歳の時に自殺とも事故死とも言われる転落死を遂げているからだ。
老人になったダグを演じているのは俳優マーティン・マル。ダグ・ケニーより3歳年長で、ミュージシャン、画家としても名高い(ご丁寧に、本作の主題歌といえる楽曲「Time of My Life」はマルが作詞作曲してダグに成り代わって歌っている)。マルだとすぐにわかった人は、この作品がかなり人を食った作品であることに気づくだろう。つまり本作は、もう生きてはいないダグが老人の姿で現れ、進行役としてナレーションまで務めるという虚実が入り混じるややこしい構造を持っているのだ。
劇中で描かれるダグ・ケニーの生涯は、正直、それほど突飛でもなければ物珍しくもない。ハーバード大学卒のインテリの若者が、社会や時代の閉塞感を過激で下品なギャグで笑い飛ばそうと考え、実際に行動に移し、ある程度の名声を手にし、名声に溺れ、やがて自分が作り出した時代のうねりに翻弄されて疲弊していく。ひとりの才能ある若者が、お定まりの転落劇をなぞっていくに過ぎない。
ダグ・ケニーが後世に名を遺したのは、彼自身の功績よりも、彼の引き立てでその名を知られることになったそうそうたる顔ぶれのおかげとも言える。ジョン・ベルーシ、ジョン・ランディス、ビル・マーレイ、チェビー・チェイス、ハロルド・ライミス、アイヴァン・ライトマン、ジョン・ヒューズ……いくらでも名前は挙げられる。そのひとりひとりがアメリカのコメディ史の研究書で一章を割り振られるほどの重要人物ばかりだ。
ダグは親友のヘンリー・ビアードと「ナショナル・ランプーン」誌を創刊し、ラジオ、舞台、映画へと活躍の場を広げていくのだが、正直、ダグが生み出した笑いが現代に通じるものかは本作を観てもよくわからない(個人的には女性蔑視的なマチズモなど、既に時代遅れになってしまったようにも感じる)。ただ、笑いにこだわり続け、何度も精神衰弱に陥る姿から、世の常識や良識に抗って時代を牽引する偉業がいかに過酷なのかを思い知らされる。結局ケニーはその重責に耐え切れず、歴史に残る偉人にはなれなかったのかも知れないが、彼が蒔いた種が芽吹いていなければアメリカのコメディ史は大きく違っていたのは確かだろう。
勝手な想像だが、監督のデヴィッド・ウェインは、平凡な悲劇として生涯を終えてしまったダグ・ケニーに、彼が遺した非凡な功績に似つかわしいホラ話のような伝記映画をプレゼントしたかったのではないか。ケニーに敬意を表するには、観客を戸惑わせるほどのデタラメさで彼の人生をギャグにしてしまうべきだと思ったのではないか。
笑うに笑えずカリスマ性も宿っていない劇中のダグを見る限り(本人もそうだったのかは知らないが)、ギャグにして笑い飛ばせているかはともかく、湿っぽさを回避することで逆にもの悲しさを際立たせている点において、本作はダグ・ケニー追悼の役割をみごとに果たしているように感じた。
※Netflixオリジナル作品『意表をつくアホらしい作戦』独占配信中
【予告編】
【視聴リンク】
https://www.netflix.com/title/80107084
内容・あらすじ
ハーバード大学で「ハーバード・ランプーン」なるギャグ雑誌を作っていたダグ(ウィル・フォーテ)は、親友のヘンリー(ドーナル・グリーソン)を説き伏せて同じ路線を拡張した雑誌「ナショナル・ランプーン」を共同で創刊する。世間の良識派を逆なでする不謹慎な笑いに満ちた「ナショナル・ランプーン」誌は大成功を収め、ダグはラジオや映画に事業を拡張していく。しかし常識外れを追及するダグの暴走は、やがて自分自身を追い詰めていく……。