火花
NETFLIX
「売れる映画か、撮りたい映画か」
「売れる楽曲か、届けたい音楽か」
「売れる漫才か、やりたい漫才か」…。
ありきたりなテーマだが、何かを発信している者にとっては常に対峙する「ここにある危機」。
現役お笑い芸人である又吉直樹による小説をドラマ化した本作は、さて、どちらを狙ったものなのか…。
ベストは「やりたい漫才を貫き、その結果売れる」ことだ。
このドラマには、その高いハードルに挑む若き漫才師たちのもがきと、「人が人に惚れこんだらどうなるのか」という問いに対する答えのようなものが描かれていると思う。
駆け出しのお笑いコンビ「スパークス」。ボケの徳永は幼馴染みの山下を相方として活動する一方で、「あほんだら」のボケ担当・神谷を師匠と仰ぎツルみ始める。
業界に媚びることなく独自の「お笑い哲学」を実践する神谷の生きざまに惚れ、すべての答えを神谷のなかに探そうとする徳永。
彼は売れるために「一般の客ウケするネタ」に日和りながらも、神谷から目をそらすことはできない。
このドラマは序盤、とてもゆっくりとしたペースで静かに進む。
「売れない芸人の日常」のペースだ。
それがグッと加速するのが第7話。
「売れの章」の始まりだ。
すなわち、弟子が師匠を超える瞬間。
すなわち、「師匠へのリスペクト」と「人気芸人としての野望」とのはざまにダイブする瞬間。
栄光と挫折、光と影。
光は時として作り物として描かれ、影は時として爆発直前の火種として描かれる。
どちらも、いつひっくり返ってもおかしくない世界。
演じる役者たちが、いつしか芸人になっていくようにも見えて…。
徳永役の林遣都が、鍋を食べながら神谷役の波岡一喜に本音をぶつけるシーンがある。
静かに、激しく泣きながら。
それは、「自分の師匠であり続けてくれ」という懇願。
相方の山下を演じるのは、現実でも芸人である好井まさお。
ドキュメントにも見える「最後のステージ」では、完全に役者になっていた。
彼らが背負って演じたのは、夢を掴もうとする芸人たちの熱。
このドラマが「売れた」として、その主たる要因が知名度や話題性ではなく発信者のスパークであることを強く願う。
「火花」予告編
[視聴リンク]
内容・あらすじ
お笑いコンビ・スパークスの徳永は、営業先の熱海で先輩芸人・神谷と出会い、師匠として仰ぐようになる。 相方の山下とともに芸人として売れるべく漫才に取り組む一方で、神谷との関係のバランスが次第に崩れてゆき…。