全裸監督

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この世に絶対見なければいけない映像など無い 『全裸監督』

アダルトビデオ黎明期を駆け抜けたエロ事師のリビルド80‘sジャパニーズ『ブギーナイツ』。

 2019.9.07

8-S#27_0183.ARW
『全裸監督』について書きたいと思ったのですが、自分で検索した限りのネット周りでの賛否両論、というか 物言いを読んで「後出ししたほうが良いかも」というゲスい考えと、どう書いたら良いかわからなくなって放置してたのですが、このままだとモヤモヤしたまま流れちゃいそうなので自分が感じた気持ちを何とかまとめてみようと思います。
 
 
エロは好きです。
小学校の帰りに雨上がりのあぜ道でブヨブヨに濡れたエロ本を拾ったことや、深夜の自動販売機でエロ本を買って落ちてくる時の「ガコンッ」という音にビビったことや、レンタルビデオ屋でSFとホラーの間にAVをサンドしてカウンターに持って行ったこともあります。
 
ですが、エロを作る側の実情はほとんど知りません。エロがテーマの漫画は描いていますが(『ゼツ倫』全三巻発売中(ステルスマーケティング))、アダルト専門誌では人妻専門のエロ雑誌のイラストを描いたことがあるくらいです。
 
この『全裸監督』の原作となったルポルタージュの登場人物である「村西とおる」と「黒木香」については、二人の出演作品を見たことは無く、現実の村西氏や黒木氏に関しては「テレビでよく見るオモシロ文化人枠の人」くらいの認識でした。
一方で漠然とした記憶ながら「なにか揉め事があった」「たしか訴訟っぽい話も出てた」みたいなことも頭の隅にありました。
 
またこの作品の舞台となった80年代後半から90年代初頭にかけて、AV出演強要など時代の雰囲気の下でスルッと蔓延していた女性の人権に関する問題行為があり、現在も様々な取り組みが行われつつも問題となっている、というのも後付けで学びました。
 
つう前置きをダラダラ書いた上で『全裸監督』の「村西とおる」を一言で表すと
 
「ヒドい」
 
です。
 
違法なエロ本で大儲けしたり演技前提のAV撮影で本番を仕向けたりなんだりと、周りにいる人にとってみれば「ヒドい」としか言いようがありません。
 
「村西」以外にもヒドい人やヒドい状況がいっぱい出てきます。ヒドいです。ヒド過ぎるかも知れません。
 
でもこのドラマは全8話を一気に見ちゃうほど
 
「面白い」
 
のです。
 
で、「どういうこと?」と思い自分なりに考えました。
 
 
2-S#19_0107.ARWこの作品を無理矢理まとめると、監督である「村西」が、性的なものだけでなく金が欲しい、成功したい、敵に勝ちたい、素晴らしい作品を作りたい、等あらゆる自分の欲望を叶えるために周囲の人間を巻き込み、その熱に浮かされた人間が自ら(もしくは流されて)協力したり振り回されたりするという話です。
 
「エロ本や黎明期のアダルトビデオ業界を舞台に破天荒な男の所業を描く」といった内容の作品を見る場合、自分の生物学的な性別や性的指向や性的嗜好で作品に対する感じ方が変わるのは当然の話だと思います。
 
当時のAVの暗黙のルールであった“擬似本番”の約束で現場入りした女優さんを籠絡して実際のセックスシーンを撮影する、というシーンがあり、そこを取り出して書いたこの内容をどう思うかによってこの作品に対する感じ方ははっきり分かれると思います。
 
エロが好きな私も、おそらく事実に基づいているであろうこのシーンについて「ヒドいことするなあ」というザックリした印象を持ちました。
 
 
ですが、よく考えるとこれってごく当たり前の話で、性的なテーマに限らず政治的、宗教的なものも含めあらゆる物語は見る人の脳で認識されて初めて機能するもので、脳(というか脳が生み出す考え)によって受け取り方は変化するし、作品自体に永久不変の価値があるものなど(多分)存在しないからです。
 
だから「いつ」「だれが」見るかによって作品の評価は変わるものだし、80年代後半の風潮を現在の視点でみれば「ヒドい」と思う人がいるのは当たり前なのですが、ここで声を大にして言いたいのは、「ヒドい」と感じるのも物語を体験する上の一要素である、ということなのです。
 
 
エロや、ホラーもそうですが、(個人差はあるにせよ)物語、特にフィクションにおいて仮想の嫌悪や恐怖を個人の限度内で楽しむというのは当然の行為であると思います。
 
ただ問題なのはそれを見た後で自分がどう思うか、という事で、本番強要シーンを見た後で「別に普通じゃん」とか「俺もやってみてえ」と思ってそれを実行に移す奴がいたらそれは良くないつうか駄目なのですが、それは明らかに物語を処理した人間(の脳(から生まれる考え方))の側の問題である、という事です。
 
もちろん「物語全面無罪」などと言う気は無くて、偏った考え方を誘発するように作られたプロパガンダの物語は実際にあるし、自らが広めようとしている考え方に全く無自覚というか無責任な物語もいろいろあると思います。
 
そして『全裸監督』を見た人の中には描かれている題材に対して無責任だという感想を抱いた人もいると思いますし、主人公視点の物語としてまとめる段階で事実と異なる描写も多々あるでしょうし、私も100%上手く問題無く語られているとは思いません。
 
 
しかし、私がこの作品を見て「面白い」と感じたのは、現実を基にしたフィクションという枠の中で、当時を現在のフィルターを通して再構成することで、現実成分をなるべく残したまま「作り話」としての面白さの部分を抽出する事にある程度成功している、と思えたからです。
 
その最も大きな要素はやはり主演である山田孝之の存在だと言えます。
 
「村西」という高カロリーでギトギトした男が女性を丸め込んだり絶対面白くなさそうな作品作りに大勢の人間を巻き込んで無茶な事をする時、主人公を良い人に見せたいのであればストレートで自分の考えに真っ直ぐな、純粋な創作者として演じさせるでしょうし、悪漢として描くなら爬虫類のようにねちっこくしたり、むしろ心から優しい人として描くことで嫌な奴に見せられると思います。
 
しかし、山田の目は真っ黒なビー玉のようになんの意思も見せず、私はまるでロボットがプログラムで動いているかのような印象を受けたのです(もちろん全部がそうな訳ではなくて、普通の場面では喜怒哀楽を普通に表しているのですが)。
また周りの出演者の熱演(特に「黒木」役の森田望智!)が高まるほど、ロボット山田の目がブラックホールのように周囲の光を吸収しています。
 
その結果、見る者に「村西」のヒドさがヒドさそのものとしてニュートラルに跳ね返って来ている。そしてそれが現実を基にしたフィクションであるという事実を担保していると思うのです。
 
それが完全にコントロールされている訳ではないし、「それって単なる逃げじゃん」という意見もあると思います。
 
6-S#24_0025.ARWしかし、見たものを見た者が判断するというのはどんな物語も同じですし、見たもの全てを信じなければならない、なんて事はあるわけ無く、見たもの全部真に受けるってどんだけスポンジメンタルだよ!と思うわけで、見て「つまらん」と思えば忘れれば良いし、内容に不満があれば文句言えば良いし、そもそも誰でも偶然目にする可能性がある地上波では無く、自ら見ようとした者だけが見られるネット配信であるからこその作品なわけで、この世に絶対見なければいけない映像など無いし、もちろん限度はあるけど「ヒドい」からと言って抹殺されて良いわけ無いし、自分の嫌いなものは存在を許さないという考えはただの虐殺だし、気に食わないものや苦手なものも混在するのがこの世界だし、問題があればお互い出るところと引っ込めるところを話し合わなきゃ何にも進まないし、世界の中心は自分なんかじゃ無いし…………
 
 
……すいません興奮して何書いてるのかわかんなくなってしまいました。
 
 
もちろん現実の問題はきちんと対処しなきゃですし、製作に関して黒木氏が疑義を抱くような事があればちゃんと対応しなければいけないと思います。
 
シーズン2製作も決定したようですが、現実ではどんどん転落していく展開らしいので、これでもし「村西」をヒーローとして描いた時はボロクソに否定しますし、出演者であるピエール瀧の扱いのように現実と物語を切り分けた上で、きちんと「滅び」を描いて欲しいなあと思います。
 
 
とにかく個人的には駅弁シーンで泣くという初めての体験をさせてくれたこの『全裸監督』、見たいと思った人にはオススメします!
 
 
※Netflixオリジナル作品「全裸監督」独占配信中
 
【予告編】

 
【視聴リンク】
https://www.netflix.com/title/80239462